見渡神社再建復興支援活動
去る令和2年3月7日、下谷神社(東京都)阿部明徳宮司のお申し出により
久之浜町金ケ沢に鎮座する見渡神社(髙木美郎宮司兼務社)に於いて
新しいお社を設置するための基礎工事が行われました。
当日は、下谷神社氏子4名、見渡神社より髙木美郎宮司・髙木優美禰宜
当会より、吉田芳樹会長・田村貴正先輩他2名の計10名の作業となりました。
【見渡神社の再建への道】
平成23年3月11日、東日本大震災の津波により流出。
平成23年8月30日、下谷神社(東京都)の阿部明徳宮司にご協力いただき、仮社殿を設置。
平成24年10月25日、埼玉県神道青年会復興支援活動に於いて、真榊の植樹と清掃作業が行われました。
平成25年7月30日、下谷神社の阿部明徳宮司にご協力いただき、鳥居を設置。
平成26年4月27日、日本文化興隆財団ご支援の「みんなの鎮守の杜植樹祭」により
沢山の苗木が植樹され、鎮守の杜が育まれております。

[鎮守の杜]
本支援活動に於いて、9年前に設置された仮社殿の撤去と、新しいお社の基礎工事の助勢を行いました。

[基礎の資材を荷揚げ]

[基礎のコンクリートを流し込む穴を掘った様子]

[コンクリートを流し込む型枠を作成する様子]

[型枠にコンクリートを流し込む様子]

[不純物を取り除きながら、コンクリートを均一に。難しい!]

[水平にコンクリートをならす様子]
次回の作業(3月14日)にて、土台を作成し、今月中に新しいお社を設置する予定です。
新しいお社につきましては、愛媛の大工さんによりご奉納されるそうです。
詳しくは下記URLのブログをご覧ください。
https://blog.goo.ne.jp/itsukusima-m/e/f6e39b1d5b323782cc16639eccd94eb5
ご多忙にもかかわらず、東京よりご助勢に来ていただきました4名の方々に深く御礼申し上げます。
久之浜町金ケ沢に鎮座する見渡神社(髙木美郎宮司兼務社)に於いて
新しいお社を設置するための基礎工事が行われました。
当日は、下谷神社氏子4名、見渡神社より髙木美郎宮司・髙木優美禰宜
当会より、吉田芳樹会長・田村貴正先輩他2名の計10名の作業となりました。
【見渡神社の再建への道】
平成23年3月11日、東日本大震災の津波により流出。
平成23年8月30日、下谷神社(東京都)の阿部明徳宮司にご協力いただき、仮社殿を設置。
平成24年10月25日、埼玉県神道青年会復興支援活動に於いて、真榊の植樹と清掃作業が行われました。
平成25年7月30日、下谷神社の阿部明徳宮司にご協力いただき、鳥居を設置。
平成26年4月27日、日本文化興隆財団ご支援の「みんなの鎮守の杜植樹祭」により
沢山の苗木が植樹され、鎮守の杜が育まれております。

[鎮守の杜]
本支援活動に於いて、9年前に設置された仮社殿の撤去と、新しいお社の基礎工事の助勢を行いました。

[基礎の資材を荷揚げ]

[基礎のコンクリートを流し込む穴を掘った様子]

[コンクリートを流し込む型枠を作成する様子]

[型枠にコンクリートを流し込む様子]

[不純物を取り除きながら、コンクリートを均一に。難しい!]

[水平にコンクリートをならす様子]
次回の作業(3月14日)にて、土台を作成し、今月中に新しいお社を設置する予定です。
新しいお社につきましては、愛媛の大工さんによりご奉納されるそうです。
詳しくは下記URLのブログをご覧ください。
https://blog.goo.ne.jp/itsukusima-m/e/f6e39b1d5b323782cc16639eccd94eb5
ご多忙にもかかわらず、東京よりご助勢に来ていただきました4名の方々に深く御礼申し上げます。
大阪府神道青年会復興支援活動
平成30年6月18日より20日まで、新海隆広大阪府神道青年会会長様他11名による復興支援活動が行われました。
初日の18日は、午前7時58分に大阪北部にて震度6弱の地震が発生し、ご関係の方々も被災しているにも拘らず、皆様福島入りをされました。一方ならぬお心寄せに対し、感謝に堪えません。
当初の予定の一部を翌日に変更し、勿来(なこそ)にある双葉町の復興住宅や小名浜の海岸などを車窓から足早に視察をされました。
また、大堀相馬焼陶吉郎窯にて、震災当時のお話や現状について説明を受け、夜はいわき市内にて互いに懇親を深めました。
翌19日は、早朝より出発し、久之浜の星廼宮神社(髙木宮司兼務神社)を視察。

次いで、東京電力旧エネルギー館へ向かい、東京電力第一原子力発電所の説明を受け、その後バス車窓より第一原発構内を視察しました。


構内は、以前よりは作業も進んでおり、廃炉に向けて作業が着々と進んでいることを感じさせられました。
午後からは、初發神社(田村宮司本務神社)にて参拝し、田村貴正禰宜より、現状をお話して頂きました。

その後、大阪府神道青年会様よりお申し出がありました、苕野神社(倉坪宮司本務神社)の御垣内に五色の玉砂利を敷詰める作業を行い、併せて境内の除草作業も行いました。

翌日が悪天候の可能性があるということで、当初の予定より作業時間を延長して、作業完了まで行い、綺麗に整った御垣内前で記念撮影を行いました。

最終日の20日は、朝から雨模様。
5年前に社殿の解体作業を行った南相馬市小高区村上鎮座の貴布根神社を視察。

その後、浪江の八坂神社(田村宮司兼務神社)・浪江神社(髙橋宮司本務神社)・國玉神社の3社を続けて視察し、復興が遅々として進まない現状も理解して頂き、平成28年に浪江に新交流拠点としてオープンした「まち・なみ・まるしぇ」にて昼食。


午後は双葉町の八幡神社を視察し、最後に苕野神社にて新海大阪府神青会長より「これからも当会では、継続して福島の復興支援活動に取り組んで行きます」との激励のお言葉を頂戴し、会員らが円陣を組んで「福島ファイトー!」とエールを頂いた。



大阪府神道青年会の皆様、本当にありがとうございます。
初日の18日は、午前7時58分に大阪北部にて震度6弱の地震が発生し、ご関係の方々も被災しているにも拘らず、皆様福島入りをされました。一方ならぬお心寄せに対し、感謝に堪えません。
当初の予定の一部を翌日に変更し、勿来(なこそ)にある双葉町の復興住宅や小名浜の海岸などを車窓から足早に視察をされました。
また、大堀相馬焼陶吉郎窯にて、震災当時のお話や現状について説明を受け、夜はいわき市内にて互いに懇親を深めました。
翌19日は、早朝より出発し、久之浜の星廼宮神社(髙木宮司兼務神社)を視察。

次いで、東京電力旧エネルギー館へ向かい、東京電力第一原子力発電所の説明を受け、その後バス車窓より第一原発構内を視察しました。


構内は、以前よりは作業も進んでおり、廃炉に向けて作業が着々と進んでいることを感じさせられました。
午後からは、初發神社(田村宮司本務神社)にて参拝し、田村貴正禰宜より、現状をお話して頂きました。

その後、大阪府神道青年会様よりお申し出がありました、苕野神社(倉坪宮司本務神社)の御垣内に五色の玉砂利を敷詰める作業を行い、併せて境内の除草作業も行いました。

翌日が悪天候の可能性があるということで、当初の予定より作業時間を延長して、作業完了まで行い、綺麗に整った御垣内前で記念撮影を行いました。

最終日の20日は、朝から雨模様。
5年前に社殿の解体作業を行った南相馬市小高区村上鎮座の貴布根神社を視察。

その後、浪江の八坂神社(田村宮司兼務神社)・浪江神社(髙橋宮司本務神社)・國玉神社の3社を続けて視察し、復興が遅々として進まない現状も理解して頂き、平成28年に浪江に新交流拠点としてオープンした「まち・なみ・まるしぇ」にて昼食。


午後は双葉町の八幡神社を視察し、最後に苕野神社にて新海大阪府神青会長より「これからも当会では、継続して福島の復興支援活動に取り組んで行きます」との激励のお言葉を頂戴し、会員らが円陣を組んで「福島ファイトー!」とエールを頂いた。



大阪府神道青年会の皆様、本当にありがとうございます。
久之浜縁日復興支援活動
平成30年5月4日に、いわき市久之浜町久之浜に於いて復興支援活動として縁日の助勢を宮川淳会長他7名にて行ってまいりました。
久之浜諏訪神社の例祭に合わせて、下谷神社 阿部宮司(東京・上野)ご支援の元、縁日が開催されました。
本年は、例年より規模を縮小しての開催ではありましたが、地元の子どもたちが多数参加し、賑わいを見せました。

当会では、ヨーヨー釣り、スーパーボールすくいのゲームを担当し、食べ物はかき氷を担当しました。
ゲームに関しては、当初の予定していた数では間に合わず、途中で終了という運びになってしまい残念でした。

朝から雨模様で心配されていた天気も、縁日開始時には晴天となり、かき氷も大盛況となりました。
この支援活動に参加し子供たちの笑い声を聞くと、復興への道程をまた一歩進められたことを実感致しました。
東北六県神道青年協議会 慰霊祭・復興祈願祭斎行
平成30年3月11日、岩手県山田漁港に於いて、東日本大震災物故者慰霊祭並びに復興祈願祭が斎行されました。東北六県神道青年協議会主催、主管を震災被災県持ち廻りで行っておりますが、今年は岩手県にて開催されました。

斎主を東北六県神道青年協議会副会長 髙橋数馬岩手神青会長が務められ、当会の宮川淳会長を含めた六県の会長らが祭員で奉仕致しました。また舞姫が震災当時に生まれた子供たちで、とても思入れ深い浦安の舞でした。

今年は、祭典の開始時間が11時でしたので、祭典中に黙祷することが出来ず、帰りの道すがら、道の駅にて福島神青の参加者で震災発生時刻の午後2時46分に海に向かって黙祷を捧げました。
七年の歳月が過ぎ、建物等の整備は進みつつある中、心の安寧・無形の復興の一助になることこそが、我々の使命であると強く感じました。
